この記事は、平成6年(1994年)頃の私の実体験に基づく一次情報(実録)です。
友人から紹介されたその会社は、東京・南青山に事務所を構える創業2年目の、いわゆるIT企業でした。
そこで私を待ち構えていたのは、実に先進的なIT技術との出会いと悲喜こもごもな日常。やがて斜陽化し戦々恐々な日々へ。そして、営業譲渡による絶望的な清算作業と、その会社の消滅でした。
入社当初、非常に景気の良かった会社ですが、結局、バブル崩壊と共に消滅。
この記事では、お世話になった会社での営業譲渡・清算事務作業の際の想い出(体験記)と、当時のバブルの状況についてご紹介しています。
突然の営業譲渡で孤独な清算業務に就いた時の話(想い出)
仕事中、突如として、私と同年輩と思われる「見知らぬ男性」が現れた。言葉遣いは丁寧だが、有無を言わせぬ口調。
その男性によって、私(唯一の経理担当)であることの確認がなされ、会社の預金通帳と台帳の類を要求された。
営業譲渡であった。知らぬ間に話はとっくに進んでいたのだ。私はただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。茫然自失という言葉を心の底から実感した。
その日から私は、会社で一人、清算事務に携わる身の上となった。
下される指示は、帰宅を簡単には許さなかった。
カプセルホテルから出勤した冷たい雨の日の朝、朧に霞む街の光景が未だ記憶に新しい。
清算作業がようやく終わった3ヶ月後、譲渡先の会社自身も別の企業に吸収合併され、跡形もなく消えた。
バブル崩壊の荒波は、私の会社を飲み込んだ後、さらにその先をも飲み干していった。
営業譲渡で消滅した先進的IT企業とはどんな会社だったか
お世話になったIT企業は結局、営業譲渡で消滅しましたが、創業から3・4年位まで、営業収入に関しては非常に順調でした。
PC業務自体が世に普及する前の先駆けの時期にありました。
つまり、それまで主流であった「汎用コンピュータ」の時代からPC(小型コンピュータ)が実務に使えるようになって行き、「ダウンサイジング」が提唱されるようになった時期にあたります。
※ 倒産の事実が「ダウンサイジング提唱企業」として、業界紙に掲載されました。
なので、お世話になったIT企業は、OA教育、ソフトのユーザーサポート、システム開発等々、何かと先取りが出来てしまう位置にあったと言えます。
入社して初めてPCを手にした私。何かと四苦八苦しましたが、やがて、エクセルの前身の「マルチプラン」という表計算ソフトを使いこなせるようになり、経理業務がはかどっていきました。
納税の際の申告明細を「マルチプラン」で雛型化していましたが、システム開発のメンバーに目を付けられ、なんと18万円で売れてしまった・・ということがありました。
そんな時代(時期)だったのです。
社長は私より10歳ほどの年配者で、けして傲慢な人物ではありませんでしたが、時代の勢いには飲み込まれていたと思います。
「僕くらいになれば別荘の一つも持っていて不思議はない」といった鼻息の荒い時もありました。
そのうち、自社のOA教育スタッフにクレームをつけた大手企業に腹を立てて、自ら契約を破棄。
やがて、月額家賃40万円(当時)のメインの事務所を近場のビルに移転するのですが、賃料はなんと250万円(当時)。私は断固反対を表明しましたが、社長は「益々やる気が湧く」として断行。
営業担当者による搾取事件に次ぎ、システム開発部門で納品後に詐欺事件に遭遇・・。売上全体も低迷が続き、二度と復帰は叶いませんでした。
お世話になったIT企業での就業は、「22時30分退社⇒6時起床で出勤」が定番で休日の土曜日はほぼ出勤。年末の12月31日は、「資金面」が怖いので必ず出勤していました。
今思えば、各部門からもかなりの無理難題を突き付けられた気がします。そしてそれは、売上発生部門からのパワハラとも言えるのかも・・。しかし、現在(2026年)、振り返って見るに、それら全ては、時代のなせる業であったと思えてなりません。実録ではあったにしても。

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