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任用試験の仏法用語:若是善男子善女人乃至則如来使(椎地四郎殿御書)

任用試験の仏法用語:若是善男子善女人乃至則如来使(椎地四郎殿御書)

任用試験御書3編

若是善男子善女人乃至則如来使(にゃくぜぜんなんしぜんにょにんないしそくにょらいし)とは、法華経法師品第十に説かれる『若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能くひそかに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず』と読みます。

末法今時の現在、人の幸福を願って一言なりとも、妙法を説いていこうとすることが如何に尊いことか・・・。そのことが経文に明白に説かれています。そのことを御本仏日蓮大聖人は御書で仰せになっています。仏法対話に勤しむことの貴さを改めて銘記しましょう。

また、任用試験という契機にも、このような信を深める御文の確認・研鑽ができることはすばらしいことだと思います。

生死の大海(椎地四郎殿御書の仏法用語)

生死の大海(しょうじのたいかい)について。「生死」とは、繰り返し迷いの境涯に生まれては死ぬことです。また、その苦しみ自体を指して言うこともあります。生死(しょうじ)の苦しみが深く果てしないことを「大海」に譬えています。

生命は永遠であると仏法では説きます。その永遠の生命の中で、善因が善果とあらわれ、悪因が悪果と現れます。仏法で説く悪因の最たるものが、法華経で説くところの全ての衆生に仏性があるということを信じられずに誹謗することであるといいます。

ゆえに、日蓮大聖人の仏法では、仏性が信じられない根本の悪因を折伏によって滅するという、言い換えれば「仏法対話で破折する」ことを行います。