呪いはいけない!
〜 呪いについて 〜


呪いの研究ならともかく、呪いを請け負うサイトが実在する。自身、怨恨と失意の淵にありながら、再三脳裏をよぎった「呪い」について述べておきたい。

          「呪い」はけして 行ってはいけない

「呪い」は怨みや憎しみの対象に対して行われる。対象のほとんどは、やはり人間であろう。呪われる人間は卑劣な悪党ばかりではない。一方的な嫉妬、八つ当たり、逆恨みということもある。

いずれにしても「呪い」とは、呪う側が心の中で行う復讐である。これに儀式を用いることで神秘的な力への期待から、呪う相手に対して優越感や征服感といった快感を覚えるのである。

「一念岩をもとおす」という。ここで超能力を論じるつもりはないが、想念が物理的な作用を及ぼしたとしか思われないことは実在する。私の身内にもそのようなことが確かにあった。それはともかく、呪いが実現したらあなたはどうだろう。暗に期待はあったにせよ、突如出現した恐怖の世界を前に、これに驚愕し、罪の意識に懊悩することになりはしないか。もしも、呪いの実現を素直に喜ぶようであれば、これはもう魔物に魅入られた狂気の次元の話であろう。

余談になるが、狂気に触れたついでに述べておきたい。何がしかの権力を得てパワハラの加害者となる者の中には、どう見てもサイコパス(精神病質者)としか思えないような人間がいる。いざパワハラの行使になると、平常の仮面を取り払い、水を得た魚の如く喜々として異常な言動に及ぶ。時に犯罪行為さえ辞さない。事実、このような人間はかなりいる。あなたの周りにも一人や二人いると思うがどうだろう。彼ら(彼女ら)には、犯罪の追求云々の前に、ぜひ「入院」をお願いしたいと思う。

話を戻そう。ここでは、理不尽の強要に苦しみ悩む「正常」で「健全」なあなたを対象に話を進めたい。

なぜ人は「呪う」のか。それは呪う相手に対して、現実には手も足も出ないからである。怨念は、これを宿す者の心中を征服し、日ごと重圧の度を増していく。耐え難い重圧の中、自らの無力が強く意識されて絶望の淵に沈む。絶望にとって、死の選択は甘露でさえある。生そのものが苦痛の、この八方ふさがりの心境を「地獄」と言わずしてなんと言おう。唯一出来ること。それは、苦悶のうめきを上げることである。このうめきこそ、唯一、外に現れた地獄の象徴だ。そしてこの苦悶のうめきが様式を得るところ、儀式としての「呪い」が成立する。故に、「呪い」は、自らの地獄をより鮮明にする恐ろしい行為といわなければならない。

天に向いた顔面だけを残し全身が地中に埋められた状態。呪う者の心中はこのように形容される。発することが出来るのは、苦しみに満ちた喘ぎ(あえぎ)と瞋恚(しんに)のうめき声だけである。やがて、こらえきれずにその口から怨念の毒素をたたえた汚物が大量に吐き出される。「呪い」である。汚物は出口にそのまま降り注ぐ。汚物の毒素で顔面は焼け爛れ(ただれ)、呼吸はいよいよ困難になっていく−

「呪い」はけして 行ってはいけない


一人になってはいけない。一人であってはいけない。あなたの心の中にあるのはけして地獄だけではない。地中から仰いだあの「青空」もまた、あなたの中には必ず備わっている。世を呪ってはいけない。世の中は悪党ばかりではない。心に青空を抱き希望に満ちた日々を懸命に送る人たちもいる。その人たちこそ、苦悩を乗り越えた人たちだ。

まず、地中から抜け出して大地に立とう。そして大変なことだけれども、自らすすんで「人」に声をかけてみよう。地中から抜け出せたあなたにならきっとそれが出来る。
返事と共にあなたに還って来るのは、必ずや「青空のかけら」であるはずだ。


「呪い」 は けして 行ってはいけない


以 上





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